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私自身について

私の専門

私の出発点

学生時代、私はイタリア・オペラがフィレンツェで1600年ごろに生まれたと習いました。私は単純に「最初のオペラ歌手は誰だったのか?」と疑問に思いました。二つの理由でその人たちが素晴らしい音楽家であったに違いないからです。第一に、オペラは歌うのが非常に難しい。それにもかかわらず、その人たちはそれができた。これだけでもすごいことです。第二に、その人たちはこの真新しい舞台芸術の開拓者だったからです。新しいことを切り開いてゆくのはどんな場合でも大変なことです。私は専門書を読み、最初のオペラ歌手の名前をいくつか見つけました。しかし私は満足できませんでした。なぜなら、名前を見つけるのはこの問題を考える出発点に過ぎないからです。歴史的な意味において「誰?」と問うには、人の名前を見つけるだけでは充分ではありません。その人のもつ背景、たとえば社会身分、教育、他者とのかかわりなどを知らねばなりません。ここから私は音楽の社会的・歴史的背景について研究するようになりました。そして最終的に近世ヨーロッパの音楽パトロン活動の問題に到達しました。

2002年以降の主要な業績

ご興味がありましたらご連絡ください。

Ottavio Farnese’s chapel in Parma, 1561-1586
(国際基督教大学博士論文、2002年)

パルマとその他で古記録を調べ、 オッターヴィオ・ファルネーゼのパルマにおける音楽パトロン活動の全貌を描いた。本研究はこの分野で幅広い古記録調査にもとづく最初の総合的な研究である。ただし、関係分野で本研究執筆後に明らかになったことがらが多くあり、やや古くさくなった。本研究の全文はこちらからダウンロードできる。

‘As if Flemings were more foreign than Italians...’ Philippe de Monte, a foreigner at the imperial court.

研究会「International Colloquium Philippus de Monte」(アントワープ、2003年8月)における口頭発表。古記録と先行研究にもとづき、ハプスブルク家の宮廷におけるモンテの境遇を描いた。特にモンテが聖職禄を得るのに苦労した様子を描いた。全文はこちらからダウンロードできる。

La musica alla corte parmense prima dell’arrivo di Claudio Merulo.

研究会「Le arti del virtuosissimo Claudio: convegno internazionale di studi in occasione del quattrocentesimo anniversario della morte di Claudio Merulo(パルマとコルレッジョ、2003年11月)における口頭発表。同研究会実行委員会からの依頼を受けて発表した。実質的には博士論文の主要な部分を手短にまとめたもの。

‘Madama’ Margaret of Parma’s patronage of music.
Early music 33 (2005), 25-37.

古記録にもとづき、パルマ・ピアチェンツァ公妃でオッターヴィオ・ファルネーゼの妻であるマルゲリータ・ダウストリアのブリュッセルとアブルッツォにおける音楽パトロン活動を描いた。マルゲリータは夫オッターヴィオとは別に自前の宮廷を構え、その中で音楽を振興した。これは当時の女性パトロンとしてはとても珍しい事例である。

La musica alla corte parmense prima dell’arrivo di Claudio Merulo.
Marco Capa (ed), A Messer Claudio, Musico: Le arti molteplici di Claudi Merulo da Correggio (1533-1604) tra Venezia e Parma (Parma: Casa della Musica, 2006), 47-64.

同名の口頭発表そのもの。

A carnival feast in Piacenza in 1561.
『桐朋学園短期大学紀要』8(2012年)

『Il famoso convito』という祝祭記録を調べ、ピアチェンツァで1561年に行われた謝肉祭の様子を描いた。私はその全般的な背景を描き、その催しごとの一つ一つ分析した。その結果、この祝祭は単なるお祭りではなく政治的な意図のある催しだったことを明らかにした。主君たるオッターヴィオ・ファルネーゼと地元貴族の友好関係を確認することである。本論文はこちらからダウンロードできる。

Philippe de Monte hoffte kirchliche Pfründen.
『桐朋学園短期大学紀要』9(2013年)

口頭発表「‘As if Flemings were more foreign than Italians...’」にもとづく。同研究会の記録が出版されなかったために、このような形での発表となった。本論分発表前にすでに英語の原文を公開していたので、趣を変えてドイツ語で書いた。本論分はこちらからダウンロードできる。

Cardinal Alessandro Farnese’s involvement in music.
Early Music (2014).

古記録と先行研究にもとづいて、枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼの音楽への取り組みを描いた。青年時代、彼は積極的に音楽を振興したが、後にはパトロン活動の中心を美術と建築に移した。ただしリュート音楽の趣味は生涯もちつづけた。音楽についてはサン・マルチェッロのアルチコンフラテルニタ・デル・サンティッシモ・クロチフィッソの主要なパトロンとしてその団体の四旬節の儀式を通して間接的に支援した。また高位聖職者として音楽家と幅広い交流があった。

La musica di Ottavio Farnese, Parma 1561-1586.
Parma: Battei, 2015

表紙

博士論文の大幅な改訂版。いくつか誤りを直し、また博士論文執筆後に明らかになったことがらなどを盛り込んだ。本研究が16イタリア音楽についての基本的な情報源の一つとして利用されることを望む。

この本は広く出回っておりません。ご興味がおありの方は私に直接ご連絡ください。価格は一冊3500円プラス送料です。